いつだって、社会を失った密室的な関係は、消えるか逃げるか死ぬかくらいしかないんですが、そういう「幾重にも濃密な関係」というものにたまらないロマンを見出すわけです。
個人的な話になりますけど、俺が社会的な承認とやらにほとんどアレルギーめいた反応を示すのは、崩壊家族に育ったのが原因だと思われます。自分の家族がおかしいっていうことに気づいたのは、中学校入ってからあとのことだったんですが、その前は、みんなが「家族」と称している集団は、あれはみなの途方もない偽善やら努力やらのはてに成立している砂上楼閣のようなものだと思ってました。つまり「あれはニセモノであり、いずれすべて崩壊する運命にあるのだ」と思っていた。ならばそこに憎悪はからまないはずなんですが、それがあったあたりは「本当はあちらが正常で、こちらが異常なのだ」ということに無意識的には気づいていたからかもしれません。
なんというか、うらやましかったんでしょう、おそらく。
ただ、そのへんが遠因になっていて、いまでも俺は、あるべき幸福な人間関係が「家族」という概念に収束していくさまを眺めると、脊髄がそれを拒絶する。「母性」とか「母親」も同様ですね。無条件で受け入れてくれる、愛してくれる、やさしさや湿度のようなの、そうしたものを見てしまうと、苦い唾がこみ上げてくるような感覚がある。このへんの感覚は、似たようなものを持っている人にしかわからないと思うんですが、とにかく「母親」という概念に近いものを見ると、それが非常に不快な気持ちの悪いもの、人を飲み込む悪意そのもののように思える。



