『天空の城ラピュタ』で、パズーはシータを選んだのだろうか? いや、そうではない。彼が行っているのはむしろ、数多の女性のなかから一人を選ぶことと、「唯一の女性」を信じることとの間の選択である。パズーは、物語の鍵そのものである唯一の結晶をもった少女と出会う。それを、自分のすべてを賭けるべき出会いとして保ちつづけることこそ、パズーの問題なのだ。ムスカは、彼からシータを取り上げ、その代価として三枚の金貨を渡す。唯一の飛行石は、交換可能な複数枚の貨幣へと、簡単に変えられてしまう。フロイトは、女性を唯一のものでなく、交換可能な貨幣として認識することを、男性の成長段階の階梯の一つとして想定している。おそらく、そうなのだろう。数多の女性のなかから一人を選択することを肯定して初めて、人は母親という唯一の女性の圏域から、あるいは想像的な世界から逃れられるのだろう。だから、パズーはあの三枚の金貨を、簡単には捨てられない。それは、われわれの人生にかけられた呪いなのだ。
宮崎駿が天才なのは、その呪いを、パズーの運動のなかで一息で解消してくれるからである。ドーラが、「40秒で仕度しな!」と叫んであのロープを切る前、パズーに問うていたのは、「お前は恋をしているのか?」という問いである。恋は、永遠という観念のうちにわれわれを呪縛してしまう罠なのだろうか? ロープを切られて、新たな人生の準備をするために駆け出していくパズーはしかし、違う言い方を選んだのだ。恋とは、現実を矮小化する様々な観念からわれわれが解放される瞬間である。